日本開発銀行:政策金融機関の変遷
終戦後の日本は、焼け野原からの復興という大きな課題に直面していました。民間金融機関は戦争で疲弊し、長期的な投資に必要な資金を供給する力は乏しかったのです。この状況を打破し、日本経済を再建するため、政府は特別な金融機関の設立を決断しました。それが日本開発銀行の始まりです。
当時の日本経済にとって最も重要だったのは、産業の育成と経済発展でした。しかし、民間金融機関だけでは、巨額の資金が必要な大型プロジェクトや、将来性のある成長産業への投資を支えることは困難でした。そこで、日本開発銀行は政府系金融機関として、民間金融機関が敬遠するようなリスクの高い事業にも積極的に融資を行う役割を担いました。
具体的には、電力、鉄鋼、造船、自動車といった基幹産業への大規模な融資を実行しました。これらの産業は、日本の経済成長を支える柱となるものでした。同時に、道路、港湾、通信設備などの社会インフラの整備にも資金を供給し、経済発展の土台作りに貢献しました。
さらに、日本開発銀行は中小企業への融資や地方開発にも力を入れました。大企業だけでなく、中小企業の成長や地方経済の活性化も、経済全体の均衡ある発展には欠かせない要素だったからです。これらの取り組みを通じて、日本開発銀行は日本経済の復興と成長に大きく貢献し、高度経済成長を力強く後押しした重要な機関と言えるでしょう。