和同開珎:日本最古の流通貨幣
七世紀後半から八世紀初頭にかけて、日本は大きな転換期を迎えていました。大和朝廷による支配体制が全国に広がり、中央集権国家の建設が進められていました。この律令国家建設の中心には、天皇を中心とした強力な中央政府があり、全国を統一的に統治するため様々な改革が行われました。戸籍や計帳といった人民管理制度の整備、軍隊組織の確立などが精力的に進められ、社会のあらゆる側面が再編されていきました。
こうした改革の中で、特に重要だったのが貨幣制度の確立です。当時、人々の暮らしは物々交換が中心でした。米や布、農具など、必要なものを物と物で交換していましたが、この方法では交換の際に価値の判断が難しく、取引に時間がかかるなど、不便な点が多くありました。そこで、円滑な経済活動と国家財政の安定のために、共通の価値基準となる貨幣が必要とされたのです。
このような時代背景のもと、七〇八年、和同開珎が鋳造、発行されました。和同開珎は日本で初めて正式に流通した貨幣であり、その誕生は画期的な出来事でした。中央政府が定めた価値基準に基づき、全国で統一的に使用される貨幣が登場したことで、商取引は活発化し、市場経済の発展に大きく貢献しました。また、税の徴収も貨幣で行われるようになり、国家財政の強化にも繋がりました。
和同開珎以前にも、富本銭と呼ばれる貨幣が存在したという説もありますが、その流通範囲や役割については、まだ多くの謎が残されています。和同開珎の発行は、律令国家が本格的に貨幣経済へと移行していく第一歩となり、古代日本の経済システムの根幹を築いたと言えるでしょう。