ルーブル合意:為替相場安定への挑戦
1980年代中頃、アメリカ経済は深刻な問題を抱えていました。高すぎたドルの価値により、アメリカ製品は世界市場での競争力を失い、輸出は低迷。それと同時に輸入は増加し続け、貿易赤字は雪だるま式に膨らんでいきました。国内の製造業をはじめとする様々な産業は、この状況に苦しみ、経済全体の停滞が懸念されていました。
このドル高是正のために、1985年9月、ニューヨークのプラザホテルに主要5カ国(日本、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス)の財務大臣と中央銀行総裁が集まりました。会議の結果、各国が協力して為替市場に介入し、ドルの価値を下げることで合意。これが「プラザ合意」です。
プラザ合意後、ドルの価値は急速に下がり、反対に日本の円は急激に値上がりしました。しかし、ドル安の進行は予想をはるかに超えるものでした。あまりにも急激なドル安は、世界経済全体にマイナスの影響を与えることが懸念され始め、行き過ぎたドル安に歯止めをかける必要性が認識されるようになりました。
そこで、プラザ合意から約1年半後の1987年2月、パリのルーブル宮殿で主要7カ国(日本、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、カナダ、イタリア)の財務大臣と中央銀行総裁会議が開催されました。この会議では、為替の変動を一定の範囲内に収めるための協調介入を行うことで合意。これが「ルーブル合意」です。プラザ合意がドル安誘導を目指したのに対し、ルーブル合意は行き過ぎたドル安を修正し、為替相場を安定させることを目的としていました。ドルの価値を下げることを目指したプラザ合意と、その反動で行き過ぎた変動を抑えるためのルーブル合意。この2つの合意は、1980年代後半の世界経済を大きく揺るがした為替問題への対応策として、歴史に刻まれています。